「文学は人生の中で最も価値あるもの」
2019/09/24 10:57
東欧バルカン半島に位置する小国アルバニアには、第二次世界大戦後スターリン式独裁体制が立てられた。言葉一つから一文字に至るまで拘束される厳しい時代が続いた。第9回朴景利(パク・ギョンリ)文学賞受賞者であるイスマイル・カダレ(83)は、まさにそこで生まれた。10代の頃シェイクスピアの「マクベス」を筆写しながら文学に没頭し、20代のデビュー作「死んだ軍隊の将軍」(1963年)で世界文学界に名を知らせた。1990年、フランスに政治亡命してパリで作品活動を続けている。電子メールで会った彼は、「世界はまだ文学を不要とする国で暮らすことが、どれほど大きな悲劇であるかを理解していない。文学は人生において最も価値あるものだ」と主張した。
――朴景利文学賞受賞の感想は…。
「朴景利作家について良い話をたくさん聞いた。彼女の名前から取った文学賞があるという事実が美しく感じられる。私のよい友人であるアモス・オズが受賞した賞だからなおさら嬉しい。私たちは地球という巨大な屋根の下で、一緒に生きていく。姿はまちまちで、愛され尊重されるが、文学もそうだ。文学は普遍的であり、時空を超越する。韓国初の世界文学賞である朴景利文学賞を受賞したことを考えるほど、喜びがみなぎる」
――デビュー作「死んだ軍隊の将軍」で大きな反響を起こした。
「小さな断想から出発した物語だ。通常、作家は興味深い物語を作り出さなければならないが、時にはプレゼントのような現実に出会うこともある。政治的に不運だったアルバニアで、そんな出来事が起きた。かつて敵として会った軍隊の将軍が、人道主義的任務を遂行しにアルバニアを訪れる。アルバニアはまだ、過去の苦しみと罪悪感に慣れていない時だった。掘り下げるほど、このテーマにまつわる問題はより深く複雑に感じられた。短編で始めたが、最終的に長編になった」
――「『死んだ…』は最も有名な小説だが、最高の小説ではないと思う」と話した。
「そうだ。25歳の若い年齢で書いた小説なので注目を浴びた。私は政治環境が極度に不条理な国で生まれた。文学と才能のある人々には敵対的な環境だった。良いスタートではなかったが、アルバニアと私の文学の旅で、この作品が意味ある質問を投げたと思う」
――「夢の宮殿」(1981年)などを通じて、共産主義独裁体制を批判してきた。
「そうだ。しかし、不適切なテーマで政権を嘲笑しよういう狙いはなかった。真剣な作家たちはそのようなことを望まない。抑圧は当然考えるべきテーマだった」
――「夢の宮殿」は寓話の形式を取ったが、首都ティラナを詳細に描写して、政府が気づいた。
「当時の状況をできるだけ詳細かつ生き生きと描写してこそ作品の完結性を高めることができると考えた。実際、それによってより大きな真実に近づくことができた。小説のために多くの頭の痛いことを経験した。それは私の文学の道において一種の障害だった。この作品ほど、社会主義者、評論家、共産主義独裁政権によって徹底的に調査された小説もない」
――作品の世界に影響を与えた作家や作品が知りたい。
「理解できない本から影響を受けた。アルバニア語に翻訳されたシェイクスピアが代表的である。 『マクベス』を見て以来、他の本がつまらなく感じられるほどだった。ギリシャのホメロスは好きだったが、通常のレベルだった。私の作品にユーモアがあるなら、それはセルバンテスの『ドン・キホーテ』のおかげだ」
――全世界の後輩作家たちにどんなアドバイスを渡したいか。
「あまりにも早く本を出版することは災いになりかねない。作家としてでき上げる前に名前が知られると、プレッシャーに押しつぶされて、文を書くのが容易でないからだ。時には酒のように、あまりにも幼い時に文学作品を出版することは禁じなければならないと思うこともある。私は本物の作家になる前に、新聞に紹介された。『編集部のメール』というコラムで、彼らは私の詩を『文学が受け入れることのできない言語で書かれた』と酷評した」
――韓国にもあなたのファン層が厚い。
「隣国であれ、遠い国であれ、私の作品が翻訳されて読まれることはこの上ない楽しみである。文学はそのようなものであり、その土台は世界主義にある。私の作品に興味を持っていただいた韓国の読者と出版社の関係者の方々にお礼申し上げたい」