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赤ちゃんイエスの形状に自ずと笑顔…人骨装飾には救いの切望

2019/10/12 11:56




チェコとオーストリアは、正直巡礼者が病気になりがちだ。それだけ見所がいたるところにある。主要観光地だけを回っても、恵みが降り注ぐ。ところが、ビュッフェのように何を食べたのかよく思い出せない。今日出会った大聖堂は、昨日出会った大聖堂ではないとなかなか自信を持てない。

それでも注意してみれば、それぞれに合った宝石が散らばっている。生と死の境界を振り返り、21世紀の修道院の流れも何となく分かる。その代わり、ただ一つ。時間がギリギリなら、スキップしてもいいからゆっくり歩くように。草の匂いや石垣の匂いも通り過ぎないように。

●子供は昔のままなのに人骨もその場に

まさに武装解除だ。落ち着いた大聖堂で口元が上がるなんて。わずか45センチの小さな彫刻像がここまでも温かいとは。

「プラハの赤ちゃんイエス」は、実はその位置が曖昧だ。観光中核の旧市街からトラム(路面電車)に乗って3、4区域は行く。カトリック信者でなければ、なかなか必須コースに挙げられない。ところが直面してみると、よくきたなと思う。2階に展示された韓服もかわいらしい。赤ちゃんイエスはバービー人形のように、時期に合わせて服を着替える。

なぜあんなにドキドキするのだろうか。ローマ法王ベネディクト16世は、「神さまが赤ちゃんの姿で、あなたの親密さを示す」(2009年)と語った。ポーラ神父も首を縦に振った 「審判や犠牲も崇高だが、イエスの愛はそれだけではないのです。赤ちゃんの純粋で人間的な形状に惹かれるのではないでしょうか」

もう一つ。大聖堂をつかさどるカルメル会は、1971年から中央アフリカの子供たちを支援している。幼稚園や学校も運営する。このように深い意味を実践するので、オーラが生きている。赤ちゃんイエスは、17世紀にスペインで作られたという。しかし、赤ちゃんイエスは、将来を照らすのでなおさら美しい。

一方、クトナー・ホラの「セドレツ納骨堂」は、完全に極端に立っている。入るとすぐに眉をしかめてしまう。終わりのない人骨。ピラミッドのように積もった骨の墓は仕方ないと思った。頭蓋骨で文様を飾ったのはいったいどんな悪趣味か。

しかし、つかの間、空想の翼を広げてみよう。このスケルトンは、主に14世紀にペストで死亡した3万人の遺体から収拾したという。苦痛の中、最後まで救いを切望したはず。大聖堂は、「神の家」だ。人間のためのトイレも設けていない。そこに貧富貴賎に関係なく身を寄せるなら、それ以上の祝福があるだろうか。大聖堂に刻まれた「メメント・モリ(死を忘るなかれ)」は、もはや有効ではない。彼らは生死を超えて、永遠の安息所に身を捧げて成し遂げた。

●ウイスキーとワイン、そして…

オーストリアで立ち寄った二つの修道院はやや見慣れない。王室で建てた建物らしく、雄大で華やかだ。黙想と質素さを期待したが失望した。

ウィーンから約79キロ離れた「聖ベネディクトメルク修道院」は、特に賑わっている。ウンベルト・エーコ(1932〜2016)が小説「薔薇の名前」のインスピレーションを得たところとしても有名だから。さらに900人余りが修学する名門私立学校まで運営する。生徒や観光客の人出に修行者はまばら。

この地の守護聖人レオポルド3世が建てた「アウグスチノ会クロスターノイブルク修道院」も、ほぼ同じだ。王宮や大博物館のようだ。もちろん、両方共に見物が多いのはいいことだが…。率直に言って修道院で仕込んだウイスキーやワインが最も記憶に残った。

しかしながら、このような「開放性」は、決して無視できない美徳である。ドアを閉めて自分たちだけで悟って何をするか。クロスターノイブルクは、ワイン収入の10%以上を社会事業に使う。若手美術家を支援する「聖レオポルド平和賞」も主管する。開かれた宗教はますます強くなる。

メルクも時代と歩調を合わせていく。文化観光担当のマルティン・ロテネダー神父は、「非カトリック信者であっても、さらにはイスラム教徒であっても修道院の体験プログラムに参加できる。学校も新入生選抜時は宗教を問わない」と話した。ウイスキーが蜜のように甘くなった。